ルネッサンスとツバキ3
とすると、日本文化の中国への輸出の第一号は花であったということになる。
てっきり野菜 種だと思っていたのだが。
その後、中国におけるツバキの状態はよくわからないが、明代にはそうとう多品種があったようである。
平安、鎌倉時代の詩歌、絵画資料からみると、ツバキもサクラもともにしばしば登場し、色変りの花、八重咲きの花のあったこともわかっている。
しかしツバキとサクラが改良されて、無数の変わった品種がドッと出てくるのは室町時代からのことである。
ツバキ改良の中心は京都で、それをになったのは公卿であった。
面白いことに足利義満の頃(一四〇〇年)に早くも、中国から日本にないツバキの系統の種類が導入されている。
ツバキの中には俺助という品種群があり、小型花で花は充分開かない傾向があり、茶席の花として賞用されてきた。
この俺助品種群は形態上からみると、日本原種のツバキと相違点がいくつもあって、日本のツバキから生まれた変種とは考えにくい点がある。